北京楽団の歌手が虐殺された

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北京は中国の政治と文化の中心だ。1998年3人の音楽を愛する、「北漂」の若者が北京で民謡バンド「山谷の住民」を結成した。

次の歌はバンドの名前と同じく…山谷の住民という「山谷に風があり、山谷に雨があり、優しい歌声は世事に超然な態度」。この歌は出版社に注目され、彼らの1枚目のアルバム「過ぎ去りし出来事は風の如く」を作った。10年間の絶え間ない公演で、バンドのファンはどんどん増えた。

音楽評論家は、彼らの音楽の中には最も本質的な生活の香りがするという。2008年に全盛期が到来した、この「我が家」は2008年新年以降、国際的な音楽TVチャンネルで熱狂的に放送が始まった。

「我が家は彼が囲んだ小さな場所、至る所に青草があり、すべてが緑。」しかし、この素直な若者が2度とテレビで、仲間の笑顔と自分の歌声に出会うことはなかった。于宙は打楽器とハーモニカ奏者で歌もうまかった。バンドの大ヒット曲「愛の箴言」は、いつも公演のエンディングソングだ。偽りのない心をあなたに悲しみはわたしに。

2008年1月26日于宙と奥さんは公演を終え、車で帰宅する途中警察に検問された。その理由はオリンピック中の治安の為だった、二人が法輪功学習者だと分かり直ちに留置場に監禁された、この監禁は11日間にも及んだ。2月6日はちょうど旧暦の大晦日家族の元に突然病院に行くよう通知が来て、そこで見たのは白いシートで覆われ冷たくなった于宙の遺体だった。

まだ42歳の于宙がわずか11日で命を失った、この間に一体何が起こったのか?遺体を調べると家族が求めたが警察側に理不尽にも拒否された、偽りのない心をあなたに悲しみはわたしに、于宙は去った。妻の許那は彼の最後の面影も見ることができなかった、あなたに会いたい、最近のあなたを見せてほしい。「山谷の住民」のメンバーの心に、于宙は善良で根気のある人だった、正しい限り頑張って続ける。しかし、もうあなたの姿はない、もうあの日には戻れない。「山谷の住民」は誰もあの日には戻れなかった、于宙の笑顔は二度と表れなかった。于宙はかつて地元の文科系をトップの成績で卒業し、北京大学フランス語学科に合格し。1995年に友人の紹介で、法輪功を修煉し始めてからは更により純粋で善良になり、彼のその後の音楽にも表れていた急に止まった音楽、急に去った于宙于宙が亡くなった後の今でも、彼のような悲劇は依然として絶えず起こっている、誠実な感情が溢れているこの「愛の箴言」は絶唱されこの悲劇にも終止符を打つ時だ。